雑草魂

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映画「木靴の樹」

とある映画会にて『木靴の樹』を鑑賞してきました。

木靴の樹』(エルマンノ・オノミ監督 1978年)
ミレーの絵を彷彿とするような美しさ、慎ましさ、農民の生命力。
19世紀末の北イタリアの小作人達の暮らしを奇をてらうことなく、静かに、嘘偽りなく、描いた名作。1978年カンヌパルムドール受賞。

不勉強でエルマンノ・オノミ監督作品はこれが初だったのですが、役者でなく素人(本物の農夫)を用いて、劇的なるものを排して描かれた映像はまるでドキュメンタリーのよう。タイトルにつながる事件のエピソードはかなり後半になるまで出て来ず、ドラマティックなストーリー展開は皆無といってもいい淡々とした話なのですが、私は全く飽きずに、100年前のイタリアにタイムスリップしたかのように引き込まれて鑑賞しました。

地主から住居と仕事と家畜を貸与され、収穫の2/3を納める小作人の立場は非常に弱く、子供のための木靴を作るため領地内の木を一本切ったことがバレただけで長屋から追い出されてしまう一家。他の小作人達は追い出されていく一家の様子を物陰から覗き、或いは見ないふりをします。じっとりとしたエンディング。地主に抗議をしようという者はないのです。抗議をしようものなら自分達も追い出されてしまうから?

街に出ると、貧富の差にものを申そうじゃないかという街頭演説やデモなども行われているのに、文盲の父はそんな演説よりも足元に落ちていた金貨のことで頭が一杯。

大事な牛が病気になっても神様頼り、教会は親切にしてくれはするけれど、新婚初日の夫婦に孤児を養子にするようすすめたり、農夫たちは敬虔で食事にも就寝時にもお祈りを欠かさない、自分達も貧しいのにさらに貧しい者に施しものをする。神様を敬って慎ましく暮らしているけど、地主から不当に追い出されてしまう家族。そうらね、神様なんて助けてくれないじゃないか!地主などに抗議できるだけの知恵をつけるために勉強することのほうがお祈りより有効だ!と神様不信の私は思いました。
でも、終わった後のディスカッションで、お祈りを欠かさない家族の生き方に感動した、教会のありがたさがわかった的な感想を述べている方がいたので、ただ私の映画のものの見方がうがってるだけなのかもしれません。。。